pickup

vol.15

MICHIO DEGAWA

サーフィンもボード作りも、終わりがない…

テイラー スティッチのスピリットは、どこまでも“本物”を追求すること。そのために“こだわり”と“情熱”はいとわない。
さまざまなフィールドには、同じ志を持って活躍する男達がいる。彼らを突き動かす原動力は? そして、何を求めているのか?
ここでは気になる一人をピックアップして、その思いを2回に分けて語ってもらう。きっと、そこにはテイラー スティッチとつながる何かがあるはずだ。
今回は、サーフボードブランド「NO BRAND(ノーブランド)」のシェイパー(サーフボードビルダー)として活躍する出川三千男さんだ。

サーフィンには言葉なんていらない

出川さんが日々サーフィンをするホームブレイク、七里ガ浜にて。カメラマンにビーチではなく流れ込む川でのロケーションを希望。独特の美学がにじみ出る

——まず、サーフィンを始めたきっかけを教えていただけますか。

鎌倉市の稲村ヶ崎で生まれ育ったんですが、50年代は本当に何もなくて。今は住宅地で観光地にもなっていますが、簡単に言えば何もない田舎町でした。だから、夏になると、エアコンもない時代ですから、親に連れられて海で涼を取る。海水浴場の貸しボート屋には、「板子」や「フロート」と呼ばれるSUP(スタンドアップパドルボード)の原型のような波に乗る遊具が置いてあった。 それで8月の土用波、そのころは知らなかったけど遠洋の台風からくる波に乗って遊んでいたのが、サーフィンの原体験ですね。

 

1968年に撮影された出川さんのライディング写真。「過去のことを振り返るのは好きではないけど、あのころのサーファーはスタイルがあった」

——なるほど、モダンなサーフィンがアメリカから伝わる前から、日本でも波乗りをしていたんですね。

はい。で、それからすぐに、横須賀や厚木の米軍のマリンベースから米兵のサーファーが、ちゃんとフィンの付いた本当のサーフボード、いわゆるモダンな長い板を持ってきてサーフィンを始めました。ケースにも入れないで裸のまま、電車で持ってきてましたね(笑)。「うわぁ、恰好いい!」と思ってビーチで彼らに近寄って行くと、言葉はわかからなくても「いいよ。使って」と言ってくれて、借りて乗ってました。だけど、乗り方がわからないから見よう見まね。1962年くらいのことです。

——言葉は通じないけど、サーフィンがコミュニケーションのツールになったんですね。

みんなすごく親しかった。言葉なんか何もわからない、ましてや僕ら、英語なんか点数悪い連中だからさ。サーフィンのすごさはそこだよね。言葉はいらないわけ。

サーフボードを愛車へ。ボードの持ち方が、さすがにサマになっている

——なるほど、日本製のサーフボードが手に入るようになったのはいつですか?

1964年には、マリブとかダックス、フジという日本製のサーフボードを先輩達が持っていました。5万6千円、当時の大卒の初任給が2万円くらいだから、当然僕らには買えない。みんなで乗らせてもらってましたね。 だけど当時リーシュコード(サーフボードの流れ留め)もないから、流してしまったら負け。砂浜で待っている仲間に板を取られて、おしまい。また、次に流れくるのをビーチで待つ。ウエットスーツも、体型の合う3人で共同で買って使い回す。海に入るたびに、寒い砂浜で着替えたりしてね(笑)。

 

サーフィンに関する自著もある出川さん。その波乗り哲学に、世代を超えたサーファーからリスペクトされる

——当時のサーファーの写真を見ると、やはりファッションもオシャレですよね。

いや、当時サーファーのファッションなんてないですから。もう何でもアリだから、やりたければ何でもやる。だけど、洋書の『サーファーマガジン』や『サーフィンマガジン』は楽しみにしていましたね。先輩のキャビンアテンダントのガールフレンドにアメリカで買ってきてもらって、みんなで回し読みするの。中々、回ってこなくてボロボロ(笑)。サーフトランクスもなかったから、お袋に作ってもらっていました。「ステッチが違う」とか、ブツブツ言いながら(笑)。

——本当に自分達でスタイルを作っていったんですね。

僕らにとっては本当にカウンターカルチャーでしたからね。それまではないわけだから。Tシャツすらない。カッターシャツなんてグンゼのシャツしかなかった。で、アメリカから「フルーツオブザルーム」という3枚で1パックのTシャツを買ってきもらうんだけど、当時のものは透け透けでね。スニーカーもなくて、オニツカタイガーかベアー、いわゆる運動靴でした。

 

当時の仲間のサーファーを撮影した思い出のカメラ。父親から譲り受けた一眼レフだ

——それで高校を卒業してサーフボードを作るシェイパーになるわけですね。後編ではシェイパーという仕事やテイラー スティッチについても、お聞かせ下さい。

アフターサーフのリラックスタイムは、鎌倉山にあるオフィスのラナイにて

 

PROFILE

MICHIO DEGAWA

出川三千男
NO BRAND(ノーブランド)ファウンダーシェイパー

1950年生まれ。神奈川県・稲村ヶ崎出身 高校卒業後、サーフボードファクトリーを仲間とともに始める。その後、国内を始め海外のサーフィン大会にも出場、71年全日本アマチュアサーフィン大会優勝。70年代以来、日本のサーフィンシーンをリードし続ける。1990年に公開された映画『稲村ジェーン』(桑田佳祐監督)の主人公のモデルの一人とも言われている。著書『波乗り入門』(ちくまプリマー新書)

nobrand.co.jp
Archives | アーカイブ